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福重美和STORY
英一郎の母・福重美和(ふくしげみわ)今までの活動
鳥のフクシゲと覚えられるほど、
前半は磁・陶芸使った鳥専門の制作を続けてきました。
但し、リアルに鳥を写すのではなく、花やエスニック柄などを施した造形としての鳥でした。
後期は器も手がけるようになります。
はじめの間は染付の文様からはいりました。
徐々に色も使うようになり、古今東西の文様、
またテクスチャーの実験も試みるようになりました。
それが遂に鳥の方にも反映しました。
体調もあり、ペースは以前よりダウンしておりますが、
40年前、予約札が赤い海のようについた箸置きシリーズは、
現在も好調で、小物であるので反復生産もやり易く現在も続行中です。
福重美和(ふくしげみわ)がやきものを始めたきっかけ。
波佐見は江戸時代の初期からのやきものの町、
父の里もあと1代で10代目になるところでした。
しかし、時代の波に勝てず、敷地内の木宅(工房込みで現在国指定の文化財になっている)は
大きな商社の手に渡りました。
今は、工場の古さを生かしたリニューアルが成功し、
ギャラリーやカフェ、雑貨店、コーヒーの焙煎屋、クラフト店など、
波佐見の文化の発信地として不況知らずの賑いを呈しています。
幸山陶苑(福幸製陶所)は作家の工房などではなく、
最盛期には160名程の工員さんをかかえるメーカーでした。
昭和の初めころはデザイナーとう専門職はなく、
経営者の見識やセンスが製品に反映する時代でした。
かなりの長い時期、幸山陶苑(福幸製陶所)は
工場生産ながら選り抜きのろくろ師や絵付職人をかかえ、
手作りの良さを持った数々の良い製品を生み出し、
有田をはじめ近隣の町の人たちが一目も二目も置く窯やき(メーカー)でした。
私(福重美和)は、そこで働く祖父を見ながら育ち、
まだ幼かったので、私にとって工場は遊び場でした。
何基かある大きな窯に火がはいる夜は、窯焚きのおじさんたちに、
一升瓶のお酒や大盛りにもられたちくわの皿などを届けるお手伝いをしていました。
やきものを始めたのは、私が30代はじめ頃で、
もうその頃は祖父は亡くなっていましたが、
材料の仕入れ技術の指導など、町の人たちや窯業試験場の先生たちから
たくさんの協力を得て、すべり出すことができました。
今は息子が私の代わりにその恩恵を受けています。
福重美和(ふくしげみわ)が想う、クラフトとは。
日本が第二次世界大戦に敗戦後、復興してゆく中、
少しずつ経済・生産力が向上し独自でいろいろなものが大量に作れる世の中になりました。
ただ、その中でもっといい物を作らなければと考える人たちが出て来て、
おのずとデザインという玄葉が使われ始めました。
それが生活の中での美しい形・機能性を備え、
素材が技術に裏打ちされた良い製品こそクラフトデザインで、
日本のあちこちのもの作りたちがそれを意識して仕事をするようになりました。
制作者の形態は、一品物を作る作家的な人から、
工場のデザイン室で販売や流通までも計画に入れデザインをする、
プロダクトデザイナーなど様々です。
日本クラフトデザイン協会・地方の協会としては、
一番めざましい九州クラフトデザイナー協会(私、福重美和も双方の協会には30年は在籍)など立ち上げ、
国や大きなデパート(銀座松屋・博多大丸など)の後援を得ながら、
30~40年間、発表・販売を続けてきました。
質の高さは、第一線を保ち続けたと思います。
しかし経済の高度成長期の大量生産・大量消費の後、
やって来た長い不況期の間でも、一般大衆のデザインに対する意識は向上し、成熟し、
今敢えてクラフトデザインと声高らかに云う意義はなくなったと思います。
私の物は箸置き以外は、大きな鳥のオブジェでも箸類でも、
数は一品ものに近く将来もこの路線で行くと思います。
自分自身にとっても見る人にとっても深い楽しみを味合える物を作りたいと思っています。
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